映画「かぐやびより」鑑賞レポート@駅前かぐや

ども。Dadです。
春の休日の午後。かねてから鑑賞したいと思っていた「ハタケノチカラ」の津村和比古監督の作品「かぐやびより」をみてきました。
16時開演でしたが、よりにもよってこんな日に限って事故で電車が遅延していました。仕方なく最寄駅まで引き返して、別の路線で向かうことに。
上映会の会場は、駅から徒歩1分の場所にある「駅前かぐや」さん。映画の舞台となる「さんわーくかぐや」さんが運営している場所です。元々は八百屋さんや魚屋さんが並ぶ町の市場商店だったそうで、担当の方が、わざわざ入口の前で待っていてくださり、申し訳ない気持ちになりました。
室内に入ると、趣のある素敵な空間に大勢の人が集まっていて、すでにスクリーンに集中していました。
映画「かぐやびより」
約20分遅れての鑑賞となりましたが、さんわーくかぐや代表の藤田慶子さん、その息子さんで現理事長の靖正さんが話を進めていきます。
「かぐやびより」は、さんわーくかぐやに集う、いわゆる精神に悩みを抱えた仲間たちの日常を描いたドキュメンタリー映画です。
慶子さんの娘さんが14歳の時に精神を崩してしまい、その後亡くなられてしまったそうです。
慶子さんは、失意のどん底のなかで、アトリエ兼ご自宅だった古民家の長屋を改装し、娘さんのような悩みを抱える方たちを迎えるための福祉施設「さんわーくかぐや」を設立。息子の靖正さんと共に運営を始められました。
津村監督は人づてにこの「さんわーくかぐや」を知り、そこから何年も通って作品を完成させたそうです。
作品では、仲間たちの日常が、最小限の解説で描かれていきます。
津村監督の作品は、主題を見る側に押し付けず、絶妙な距離感を保ちながら踏み込みすぎない。カメラを意識させない日常の光景を映し出す描写で、とても知性を感じます。
「かぐやびより」を鑑賞した感想
作中では、2人の女性が特に印象に残りました。
特定の主人公を追いかけることをしないのですが、施設の中心的な存在の一人で、まつ毛が長くておおきな瞳をした愛らしい印象の女性。
遅れて鑑賞したので前後の成り行きが分からないまま見たシーンでしたが、彼女は大勢がいる会場の壇上で、お母さんありがとうと涙をこぼしていました。
感受性が強く繊細で、責任感も強く、早く自立して働いて、お母さんの家計を助けたいと言っていました。
施設でちょっとした揉め事が起きたときには、靖正さんから少し強い言葉を受ける場面がありました。そんなときも、正座をして真っ直ぐ対面し、相手の目を見ながら真摯に聞いている姿がとても印象的でした。
2人目の女性は、とっても絵を描くのが得意な方です。
独特のペンの握り方で、なにか独り言を発しながら、どんどんと線を引いていきます。僕も学生の頃に絵を描いていたので分かるのですが、まっさらなキャンバスにはじめて線を引くときはいつも戸惑います。
探り探り、しっくりくる期待通りの線を引きたいからです。
それなのに、彼女は躊躇なく線を引き、迷わず色をのせていきます。
そしてその線やのせる色が、ことごとく美しいのです。
おそらく彼女には天授の才能があり、描く前から完成した姿を、寸分狂わず頭の中に想い描いているのでしょう。
そんなことを考えながら彼女の筆運びに見入っていた矢先のこと。
次の瞬間、失敗した類の言葉を発しながら部屋中を歩き回り、ゴミ箱の前に佇んでその絵を破り捨ててしまいました。
重ねて破って、重ねて破って……。
「えっ?どこが??とっても素敵なのに!?」
その光景を見ながら、思わず「もったいない」と凡才の僕は思ってしまいました。
彼女にとっては、跡形なく消し去らなければならないほど、許されない事態が起きたのでしょう。
映画の舞台「さんわーくかぐや」へ
鑑賞が終わって、映画の舞台である「さんわーくかぐや」へ招待いただき、伺いました。
上映会の「駅前かぐや」から徒歩約10分。住宅地の中で、そこだけ時が止まったかのように、僕が過ごした幼少期を思い出させるような、古き良き昭和の時代の雰囲気が残る場所でした。
さんわーくかぐやは、傾斜に生えている竹林を挟んで、母屋と作業小屋の離れがあるという土地のつくりになっています。建物の中にお邪魔する前に、その竹林の坂道を抜けて途中まで散策させてもらいました。
日が暮れてきていて、下の作業場の家屋までは行き着けませんでしたが、落ち葉が積もった手作りの階段を下りた先に、広い平地の上に出ました。作中でお祭りをしていた場所です。
僕の幼少期は実家の隣に地主さんの畑があって、その周りをぐるりと住宅が囲んでいて、畑には太い幹の根が張った大きな樹が植わっていました。
家の前は舗装もされていない、道路とも呼べないような道でした。
自宅の前が幼稚園で、敷地をまたぐ柵の向こうにちょうどプールがあり、夏になるとそこを住処にしたカエルが、一斉に鳴いていました。
隣の畑の裏は、小高い土手になっていて、さらにその先に、幼稚園が所有する広場がありました。アスファルトの地面の方が珍しかったのです。
いちおう都市部なはずなのに、自宅の付近だけはとても田舎でした。ヘビもいましたし、モグラも出ました。梅や柿もよく取れました。
秋には落ち葉拾いをして、祖父が焚き火をしてくれました。アルミホイルに包んだ焼き芋をしました。近所には同級生や年上のお兄さん、年下の女の子など、同年代の子どもたちがたくさんいて、焚き火を始めると、近所の大人や子どもたちがたくさん集まってきて、そのうち宴会になりました。
そんな日常だったのです。
さんわーくかぐやは、僕の幼少期の懐かしい記憶を思い出させる風景でした。
なかなか、このような場所はそうそうありません。
長屋の古民家に入ると、すでに10名ほどが集まって卓を囲んでいました。
テーブルには、慶子さんが作ってくださった美味しそうなお料理が並んでいました。この古民家も2棟並んでいた長屋を自分たちで繋げたそうです。
建物は古いけれど整理整頓されていて、とても清潔で居心地が良い空間でした。
漫画を読む一畳分くらいの小スペースや、ちょっと横たわれる安眠スペースなど、手作り感がなんとも言えないセンスの良さがあります。床も壁も椅子も、すべて手作りなんだとか。
映画の感想会と伺っていましたが、乾杯だけしてからは、美味しいお料理をいただきながら、各々が好きにおしゃべりをしています。感想を一人ずつ順番に発表するわけでもなく、圧迫感がなくてとても心地が良い時間でした。
もしかしたら、そうやって無理やり言葉を発せさせる時間を設けるのを、あえて好まないのかもしれないなと感じました。
社会性とは、自立とは、健常とは?
僕は以前、メンタルダウンで会社を休職しました。
家に引きこもり、半年が経過した頃、将来が不安になって「リワークセンター」なる場所に見学に行ったことがあります。
3ヶ月とか半年を掛けて、朝の通勤時間と同じようにセンターへ通い、はじめは午前中のみ。慣れてきたら午後まで。軽作業をしたりオリエンテーションをしたり、パソコン作業をしたりする研修施設です。
案内役の看護師さんとの面談の席で「メンタルを崩した人たちが社会に復帰できるように訓練するプログラムなんです」と説明を受けました。
復職がゴールではなく、その後も長く働き続けられるように、ストレスを感じた時にどう対処するか「自分自身の思考パターンを変えること」がプログラムの目的だと案内されました。
社会に耐えられなくなって、休んで回復して、再発しないように耐え方を覚えるプログラムを受けて、訓練して、また働く。
言っていることはもっともだけど、なんだかなぁ……と感じたことを今でも覚えています。
社会性とは、自立とは、健常とは?
それぞれが凸凹を抱えたまま、お互いの違いをそのまま受け入れて暮らせる社会。
映画「かぐやびより」は、あの幼少期の原風景のような、僕たちが本当に大切にすべき生き方の根っこを、教えていただいた気がしました。
「さんわーくかぐや」は施設の象徴である竹林にちなんだ「かぐや姫」が由来だそうです。月に帰っていった娘さんを偲んでつけられたのかもしれません。
ではまた。


