旧友の死と再会~泣き笑いな夜~

目次

人は、突然いなくなる。でも関係は終わりではない

ども。
今日も暮らしかた探求中Dadです。

人は、ある日突然いなくなります。
頭では分かっていたつもりでも、実際にそれを突きつけられると、身体の奥にずしりと重たいものが残ります。

旧友の訃報をきっかけに、僕は彼との時間だけでなく、長いあいだ意識の奥に沈んでいた学生時代そのものと、思いがけず“再会”することになりました。
悲しみだけでは終わらない不思議な夜でした。

一本の電話で、時間が一気に巻き戻る

平日の夜、11時を少し回った頃。
携帯電話が鳴りました。先日アトリエの引っ越しを手伝ったY君からです。

「あのね。状況はまだよくわからないんだけれど、さっきH君が亡くなった。」

急な訃報でした。

声は落ち着いていましたが、言葉の意味が頭に入ってくるまで、少し時間がかかりました。

H君は一歳年上で、予備校時代からの付き合いです。
彼が三浪、僕とY君が二浪。同じ美術大学に入りました。

腐れ縁というかなんというか。

学生時代、彼は僕の住んでいたアパートの上の階に住み、卒業後は「職場に近いから」と、今度は都内で一人暮らしをはじめた僕の隣の部屋に住んでいました。

H君とは実家も隣駅で近く、卒業後の数年間は、彼のご両親が営む古物商の手伝いもしていました。
歳が一つ違うからか、彼の人柄か、親友という訳ではなく、昔から一つ歳上の先輩という感じの間柄でした。

知らなかった彼の時間と、再び集まった僕ら

H君は新卒で大手企業に就職し管理職にまでなっていました。

最後に会ったのは、同級生の家で開かれた忘年会か新年会だったと思います。
そこから十年以上、彼と直接連絡を取ることはありませんでした。

たまに街中や電車で、彼に似た後ろ姿を見かけては、「元気にしてるかな」と思い出す。
それくらいの距離感でした。

予備校でも大学でも、H君はいつも場の中心にいました。
「ガハハ」と豪快に笑い、せっかちで、自然と場を仕切るリーダータイプです。

浪人生の頃は、予備校近くのコーヒー一杯でおかわり自由の店に入り浸り、コーヒーを4〜5人で回し飲みしながら、閉店間際まで毎日のようにやいのやいのと語り合っていました。
一人っ子だったからか、なかなか家に帰りたがらない、少し寂しがり屋な一面もありました。

S君から亡くなるまでの状況を教えてもらいました。
S君は大学は離れたけれど、予備校の同級生で、H君と同じ職場、同じチームで最後まで一緒に働いていました。

H君は5〜6年前から癌を患い、病気を周囲に隠したまま闘病を続け、亡くなる直前の週まで会社に出勤していたそうです。

話上手で盛り上げ上手。
学校の先生や予備校の講師とも友だちのように仲良くなり、賢くて世渡り上手な印象だったH君。
少し斜に構えて、世の中を俯瞰して捉えている印象でした。
あまり詮索はしたくありませんが、自分の体を蝕んでまで「会社に尽くす」とか「貢献する」みたいな、いわゆるそのようなタイプの“キャラ”ではなかったはずです。

だからこそ、その事実が心を痛ませました。

訃報をきっかけに、予備校や大学時代の仲間たちが都内の飲み屋に集まりました。
十数年ぶり、なかには二十年以上ぶりの再会もあります。

悲しみと、懐かしさと、再会の喜びが入り混じった複雑な感情。
「泣き笑い」とはまさにこのことでした。

感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、気づけば皆、泣きながら笑っていました。

学生時代は、誰かの家を泊まり歩いたり、学内で飲みながら徹夜したり、学祭で屋台を出したり、麻雀したり、釣りしたり。皆で本当によく遊びました。
それらを仕切っていたのは、だいたいいつもH君でした。

その彼が、同級生の中で一番先にいなくなった…。

失われたのは人で、残ったのは時間でした

その後の彼の人生はどんなだったろう。

考えだすときりがありません。
なので、このあたりでやめておこうと思います。

ただ一つ確かなのは、彼の死をきっかけに、僕らはもう一度集まり、語り、笑い、同じ時間を共有できたということです。
人は突然いなくなります。でも、関係や思い出までは一緒に消えるわけではありません。

次はもう少し明るい話を書こうと思います。

ではまた。

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